アナトーリ・ヴェデルニコフ

 『レコード芸術』のアニヴァーサリー演奏家のコーナーで、アナトーリ・ヴェデルニコフについての記事を読みました。
 ヴェデルニコフは、ことし生誕100年を迎えた、中国生まれのロシアのピアニストです。生前のヴェデルニコフは、その実力にもかかわらず、ついに国政的な名声を得ることはなかったといいます。わたしも、その名前を知らなかったか、忘れてしまっていました。
 しかし、冒頭、「何もかもが最高である」という言葉で始まるモンサンジョン編『リヒテル』のなかのヴェデルニコフについての文が紹介されています。それは、リヒテルが、ヴェデルニコフの弾くバッハ「イギリス組曲」第6番の録音を聞き、手帳に記した言葉だといいます。『リヒテル』のなかには、リヒテルのメモが大量に収められていて、そのなかにはヴェデルニコフについての記述がたくさんあるそうです。親しい音楽家に対しても忌憚のないリヒテルですが、ヴェデルニコフの演奏に関しては、手放しの称賛ばかりだといいます。それほどすぐれたピアニストだったということのようです。
 中国ハルピンに生まれ、6歳からピアノを習い、10歳の年には演奏活動を開始し、中国・日本で演奏し、天才少年として称賛されます。1936年にモスクワ音楽院に入学し、ネイガウスの下で才能を磨き続けます。しかし、戦後、リヒテルらの優勝した第3回ソヴィエト音楽コンクールで予選落ちし、共産党に入党しなかったことなどが響き、キャリアは振るわず、演奏活動は歌手の伴奏などが中心となります。
 1950年代にやや事情が好転し、1980年代になると、ようやく彼の功績が評価されるようになります。1980年に西側へのツアーが実現し、1983年にはロシア連邦名誉芸術家の称号を授与されます。1990年のドイツ旅行は、ヴェデルニコフにとって数少ない名誉ある機会となります。ソ連末期、ヴェデルニコフをめぐる状況が変わりつつありました。しかし、その矢先、がんが発見され、果敢に病と闘いますが、1993年亡くなり、計画されていた日本ツアーは幻となってしまいます。

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