この記事は、東京二期会が上演したベートーヴェンの歌劇「フィデリオ」の公演評です。
見出しにあるように、この公演では物語に現代史を重ねたということです。舞台にはナチスの収容所の壁、ベルリンの壁、ヨルダン川西岸地区の分離壁、アメリカとメキシコの国境の壁が次々と登場したようです。フロレスタンはユダヤ人にもパレスチナ人にも、ドン・ピツァロはナチスにもアメリカの専制主義者にも、レオノーレは時空を超えて壁と闘い続ける女戦士だということです。
この歌劇は大団円で終わります。しかし、演出ではその最中に客席の明かりをつけ、観客の大団円への感情移入を妨げたそうです。それは、今日も壁はあるからだということです。
読み替えの演出はあまり好きではありませんが、この公演は、なかなかよく考えられているようで、興味を持ちました。コロナウイルスの感染が収まらないなかでの公演ですが、観客を通常通り入れたのかということは、書かれていませんでした。それがちょっと気になります。
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