この記事は、まず、「<<第九>>が歌えなくなった日」という副題を持つ、岡田暁生さんの『音楽の危機』を紹介しています。ベートーヴェンの生誕250年の記念年を寿ぐのに最もふさわしいこの曲が物理的に演奏できなくなってしまったことに、象徴的な意味を見出し、人類が連帯し、最後に勝利するという近代市民社会の終焉を見ているといいます。
そんななか登場した「第九」の新録を二つ紹介しています。
一つは、エラス=カサド指揮で、古楽器楽団の荒々しい生命力を解き放ち、終楽章は儀式ばらず、多彩な人種構成からなる民衆が街を練り歩く姿を想像させる自然な高揚だということです。
もう一つは、独奏ピアノと声楽による編曲版で、フランス語の歌詞の明るい響きが原曲の精神主義的堅固さを和らげ、フランス革命の理想の申し子ベートーヴェンの姿を浮かび上がらせるということです。
この2枚が、コロナ後の「第九」を示唆する羅針盤となるだろうかというのです。さあ、どうなのでしょう。
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